山川草木人随想 発言番号 286 (271へのコメント)

発言日時: 04/09/23 23:39

RE:FOAUの思い出(286/286)

こうすけさんの発言を拝見してすぐに、以下の文章を一気に書いたので
すが、なんだかアップできないまま今日を迎えてしまいました。
 どうしようかと思いましたが、やっぱりアップしてお別れすることにし
ます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
▼こうすけさん。

 こうすけさんの初めての発言に私がコメントをつけておりましたか(^^;)。
 そのこうすけさんに「寂しい」と書いていただいたのを読んで、しかも、
こうすけさんがFOAUに入会するきっかけとなったのが「ザ・ウラワザ」
会議室だったことを知って、これは見過ごすわけには行かなくなってしま
いました。「ザ・ウラワザ」は、私にとっても特別な会議室です。

》 何を隠そう、私はFOAUが目的でニフティに入った。

 私もこうすけさんと同じく、FOAUが目的でニフティに入りました。
 7月にニフティから15周年のメールが届いたのをきっかけに、ココロ
グ(blog)にニフティ中村さんからのメールの思い出話を書きましたが、
OASYS 30LXのイントロパックでオンラインサインアップしてニ
フティに入会したのは「ニフティにはOASYSのフォーラムがある」と
弟に聞いたからです。
 ですから、ニフティでの歴史は、そのままOASYSやFOAUとの歴
史でもありました。FOAUは、ネットワーカーとしての私の原点でした。
 閉鎖の報を読んでから、ホームページ内の談話室やら日記やらblogやら
うずらまんさんの掲示板やらにはちらっと書いてはいますが、あまりにも
いろいろなことがあったので、会議室にはかえって何も書けずにいました。
こうすけさんに呼ばれたので、こうすけさんの真似して入会したころのこ
とを思い出して書いてみます。

                ◇

 FOAUに入会した1989年7月は、FOAU誕生から半年ほどたっ
たころでした。
 前年職場にOASYS 100GXが初めて配置になり、マニュアル片
手にたったひとりで試行錯誤しながら使い方を覚えたころHX2が配置に
なり、だんだんワープロを使える人が増えてきてOASYSを独り占めで
きなくなってきたので、初めて自分のOASYSを買った、その年です。
 5月に発注した30LXの納品が予定より1か月も遅れ、やっと届いた
もののいっしょに注文したオプションの通信ソフト「パーソナルAT」は
さらに遅れ、7月半ばにやっとサインアップしたのでした。1200bpsのモ
デムは、ニフティの先輩でもある弟からの借り物。彼はOASYSの先輩
でもあり、当時から98に親指シフトキーボードをつないで使っていた筋金
入りの親指シフターでした。

 当時OASYSの情報に飢えていたので、入会後は「ザ・ウラワザ」会
議室をむさぼり読んだものです。OASYSについてわからないこと、聞
きたいことが山ほどありました。「ザ・ウラワザ」会議室はまさに宝の山
だらけ。興奮しました。でも、それは読むだけの一方通行。次第にそれだ
けでは飽き足らなくなってきました。「フォーラムで発言しないのは存在
しないのと同じ」と書いていたのは、当時のスタッフのひとり波田野さん
だったと思いますが、意を決して発言したのは、それを読んだからかもし
れません。
 入会してから2か月近く経った1989年9月10日、勇気を振り絞っ
てアップした最初の書き込みは、“自己紹介をどうぞ”と冠していた「は
ときいん」でなく、「ザ・ウラワザ」会議室でした。初めての発言をアッ
プするとき、キーボードを叩く手が震え、心臓が口から飛び出しそうなく
らいドキドキしたものです。あの日から、私はFOAUに存在することに
なりました。

 初発言の日付は、これを書きながらデータライブラリの過去ログを探し
て確認してわかりました。なんとまあ、いきなり109行の長文。まだロ
ーマ字入力だったのに(笑)。
 そうそう、入会時はローマ字入力だったのでした。だからJISキーボ
ードでの裏技を披露していますが、その前に「なんでルポでなくOASY
Sにしたか」なんてことを延々と書いていて、笑ってしまいました。読点
はまだカンマを使ってるし(当時、公文書では、読点はカンマを使うこと
と決められていたのです)。
 「ザ・ウラワザ」のログを読み返してみて、最初のコメントはゆうやか
らだとこの15年間ずーっと思っていましたが、実は富士通のPieさんだっ
たことがわかって驚愕! あまりに事務的(?)なコメントだったので、
記憶に残らなかったのでしょうか。すみません(^^;)。
 入会時はローマ字入力だったので会議室名の“はときいん”の意味もわ
かりませんでしたが、翌月LXをAXに買い替えて親指シフトに転向しま
した。タッチタイプを覚えるためと称してRTばかりやって、ニフティか
ら7万円の請求書が来たこともあったっけ(^^;)。

 入会から半年もしないうちに、会議室不足からFOAUは2つに増殖す
るということになりました。当初90年1月からの予定が、ニフティの都
合で4月に延期になったのではなかったかと記憶しています。
 入会当時、FOASYS(現SOAS)から独立してFOAUが誕生し
たときのログを読んでえらく感動し、その場に居合わすことができなかっ
たことをたいへん悔しく思ったものですが、まさかその後自分がスタッフ
の一員としてフォーラム運営に関わるとは、夢にも思っていませんでした。
それが思いがけずFOAU2誕生のその日からFOAU第2期のサブシス
になってしまったことに重ねて、FOAU2オープンとともにスタートし
たMS-DOS初心者向け会議室での生徒役を仰せつかったこともあり、FOA
U2オープンは特別思い出深い出来事でした。FOAU2ができたときは、
うれしかったなあ。

 生まれて初めて参加した「オフライン」は1989年晩秋、渋谷でのミ
ニオフでした。今でもそのときの参加者ひとりひとりの顔とハンドルを思
い出すことができます。
 あれからいったいいくつのオフに出たことでしょう。あきれるほどたく
さん、ですね。「オフ・ウイドー」(男性だから“ウイドワー”?)の夫
は、ひとりさびしくドラゴンクエストをやっていましたが、いつしかFO
AUの友人の多くが、夫との共通の友人となっていきました。
 寝る時間も惜しんで準備したOASYS文化祭、毎週末のように出かけ
た夏のオフ。どれもこれも、昨日のことのようです。

                ◇

 あれから15年、ほんとうにほんとうに、いろいろなことがありました。
 ここで、たくさんのことを覚えました。教えてもらいました。OASY
SでMS-DOSを覚えて、それがきっかけで転職して、MS-DOSパソコンとMac
に出会って、今の仕事があります。FOAUと出会わなければ、今も赤い
制服を着ていたかもしれません。
 そして、ここで、たくさんの人と出会いました。今、親しい友だちのほ
とんどはFOAUで出会った人、または、そこから広がった輪の中で出会っ
た人です。
 ここで得たたくさんの知識と、ここで出会ったたくさんの友だちは、き
っとこれからもずっと私の一番の宝物です。

                ◇

 「ふるさとは遠きにありて思うもの」というのは室生犀星の詩の一節で
すが、私にとってのFOAUをひとことで言えば、ネットワークの世界で
の「ふるさと」でした。
 もうすぐそのふるさとがなくなってしまう。寂しいなあ。
 ここがなくなってしまうなんて。
 帰る場所がないなんて。
 もう思い出の中だけの存在になってしまうなんて。

 さようなら、私のFOAU。
 ありがとうOASYS。ありがとうFOAU。ありがとうみんな。
 さようなら。